家成俊勝(dot architects共同主宰、建築家 )メッセージ
千島との出会い
2008年頃から、制作作業と事務作業ができる場所が必要になりました。同時期にremo[NPO法人 記録と表現とメディアのための組織](以下remo)もイベントや制作、展示ができる場所を必要としており、共同で借りることができる広い場所を探し始めました。remoの甲斐賢治さんが芝川能一社長とお知り合いということもあり、北加賀屋を訪れいくつか物件を見学した後に現コーポ北加賀屋を借りることになりました。これが千島土地との初めての出会いです。
初めて北加賀屋を訪れたときの印象
2004年に行われた「NAMURA ART MEETING」で初めて北加賀屋を訪れ、大阪にも面白い場所があるなと感じました。2009年にコーポ北加賀屋を立ち上げた際、周辺にはいわゆる工場以外の経済活動や芸術活動をしている人はほとんどいなかったと思います。現在は様々な活動があって当時と比べると随分賑やかになっていると思います。
千島のサポートや協働は、プロジェクトのクリエイションにどのような影響を与えましたか?
1つ目はコーポ北加賀屋という場所を借りたことで、大きな作業スペースができ、事務所の仕事が広がったように思います。合わせコーポ北加賀屋に入居していたメンバーが開く様々なイベントを通じてたくさんの人たちと知り合うことができました。
2つ目は、第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館に出展する際に助成金をいただきサポートしていただいたことで、様々な世界の建築に関わる知見を得ることができました。また、友人たちとはじめたDESIGNEASTというデザインプロジェクトの実施においてもご協力いただいたことで、大阪から多様なデザインの現状を発信する貴重な機会と、様々なデザイナー、デザインが好きな方、デザインを学ぶ学生との交流の場を創出することができました。
3つ目は、千鳥文化のA棟とB棟をはじめ、MASK[MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA]の前室にあたるギャラリー、NAMURA ART MEETINGのアーカイブルームを設計する機会や、アーティストの作品制作をお手伝いさせていただく機会をいただいたことで、私どもの作品として対外的に発表していくことができました。
4つ目は、千鳥文化A棟においてバーを運営することで、お客さんとして地元の方々に来ていただくことで、今までにない地域の方々との繋がりができました。
これからの千島/北加賀屋に期待すること
北加賀屋という町そのものに関しては、私たちが北加賀屋に来て12年の間に徐々に変わってきた印象があります。こらからもゆっくりと時代に合わせて変化していけると良いと思います。
北加賀屋の認知度が高くなってきたと思います。世界の様々な場所で起こっているようなジェントリフィケーションによって家賃が上昇すると、北加賀屋での活動を再考することになると思います。また、新規の若い世代のアーティストやデザイナーの参入が難しくなり新鮮さに欠ける形になるかもしれません。
北加賀屋におけるアーティストやデザイナーの活動や、様々なイベントが北加賀屋らしさをつくっていると思います。今後ともそういった面での支援をお願いできますと大変嬉しいです。